岩代王子社
熊野九十九王子社の中でも、古くから知られていた王子社「岩代王子社」は岩代の神が祀られ、熊野詣の参詣者はこの王子社にも祈りを捧げていました。大巳貴命(大国主命)=熊野飛龍権現を主神とした神社で、海に面しているため千里王子に続く美しい砂浜が見られます
千里王子社
花山法皇や後鳥羽上皇、田辺領主や紀州藩主が参詣した千里王子社は、和歌山県指定の史跡です。熊野九十九王子社の本殿の中でも、三鍋王子社、切目王子社とともに古い建造物となります(現在の本殿は1776年再建されたものです)。
千里観音
千里王子社の隣にあり、王子社の本地仏と如意輪観音と小栗判事官が暴風雨から救われた御礼に馬頭観音を奉納しました。今では厄除け観音としても知られています。千里観音は石段を上がった「千里観音堂」に祀られていて歌碑のある場所からは、千里の浜が望め、熊野古道海側ルートが楽しめるでしょう。
三鍋王子社
後鳥羽上皇が熊野九十九王子社の一社の山鍋王子に参詣の時に、絹や綿、馬を奉納した大社です。現在ある鹿島神社の本殿は、もともとは三鍋王子社の本殿でした。境内には小栗判官が水を飲んだと言われている小栗井戸があり、遺跡もあります。和歌山県の指定史跡です。
有間皇子結松記念碑
孝徳天皇の皇子悲劇の有間皇子は、蘇我赤兄の陰謀にかかって、謀反の罪で捉えられ、紀温湯(今の白浜町湯崎)に旅行中の斉明天皇と中大兄皇子(天智天皇)のいる場所に護送されます。途中、自分の無事を祈り、歌を詠んだ場所が有間皇子結松記念碑で松の枝を引き抜き結んだことからこの名がつきました。しかしながら祈りは届かず、藤白坂で19歳という若さで絞り首にされてしまいました。今でも記念碑の周りにある松には、松の枝を結ぶ光景がみられます。